【レポート】探してみよう 自分らしいまちと関わる暮らし方 第4回(20160825開催)
第四回「まちと暮らしのいい関係~家族、子育て、仕事~」
進行役:竹内千寿恵さん
座談会メンバー:萩原修さん、南部良太さん、ヨーコさん
「農業デザイナー」、デザインディレクター、会社員。様々な分野から、これまでにない形で地域との新しい関わり方を開拓している3人が一堂に会した、第4回。
「暮らすまちで仕事をつくる」をテーマに、小平でコミュニティビジネスの中間支援を行うNPO法人「マイスタイル」の代表である竹内千寿恵さんの進行で、「家族」、子育て」、「仕事」が、まちとどんなハーモニーを奏でていったのかを探ります。
◆まちと関わる始まり方 ~3人のストーリー
①南部良太さん(農業デザイナー)
「農業デザイナー」というちょっと斬新な肩書を持つ南部良太さん、デザインの力で「農」と「くらし」をつなげるという新しい切り口で、国分寺を中心に精力的に活動をされています。
広告制作会社でデザインの仕事をしていた南部さんがまちと関わるきっかけとなったのは、国分寺の地域通貨「ぶんじ」プロジェクトと、今回の座談会メンバーである萩原修さんが主催する「ちいさなデザイン教室」への参加でした。自分のできることを知ってもらい、デザインの視点から地域を見る仲間と出会ったことで、「共感した人とともに走る」ことを意識し始めたといいます。
地域にあるカフェのイベントフライヤーのデザインや新しいプロジェクトのロゴ制作などを手がけるうちに、「デザインを自分ごととして捉えるようになった」という南部さん。その勢いで、野菜の流通パッケージや農園のロゴ、直売所のリニューアルなど、関心を寄せていた「農」への提案を積極的に進め始めます。「農業デザイナー」という肩書きは、そんな南部さんの活躍ぶりを見た友人が授けてくれたものなのだとか。
「農」のフィールドは「食」へも発展し、様々な分野が「自分ごと」になりつつある南部さん。「主体となる走りをしたい」という気持ちで、まちとの関わりを深めています。
②萩原修さん(デザインディレクター、つくし文具店店主)
デザインを通して、様々な分野の人たちと、見たこともないプロジェクトを次々と立ち上げている萩原さん。文具店の店長、大学教授という肩書きも持っています。「ママ」や「おやじ」という括り方が嫌いで、今回の参加もためらったと爆弾発言を放ちながらも、丁寧にお話ししてくださいました。
萩原さんが育ったのは、国分寺西町。お父さまが都心で働き、お母さまが自宅とつながった文具店を切り盛りするという家庭環境で、暮らしと仕事がつながっている状況を自然なものとして捉えていたといいます。
大学卒業後、印刷会社で会社案内や企業PR誌などのディレクションに携わった後、新宿のリビングデザインセンターOZONEで住まいに関する展覧会の企画を担当。ここで、暮らしと住まいを仕事の中で考える、ということがスタートしたのでした。
萩原さんは、自称「人見知り」。けれど、知っている人を増やしていかなければ生きにくい。そう考え、「自分が中心になれば居場所がある」と、デザイン関係者との交流会を主催。デザインといったら都心、と思いきや、吉祥寺の会場にも多くの人が集まりました。
30代で自分の地元を客観的に見て、「多摩エリアはコミュニティをつくる発展途上にある」と気づいた萩原さんは、「自分の住む場所に近いところにも、デザインの可能性はある」という感触を得て、42歳で20年以上のサラリーマン生活に終止符を打ち、独立。その後は、プロジェクトファームと銘打って、依頼されたものを作るのではなく、やりたい人たちが主体的にほしいものを作っていくというやり方で進めるプロジェクトを開始。実家の文具店をコミュニティスペースとして発展させた「つくし文具店」や“コドモといっしょの暮らしを考えるプロジェクト”「コド・モノ・コト」、「東京にしがわ大学」など、デザインと暮らし、地域をつなげるプロジェクトを生み出しています。
育ったまちを生かし、心地よい人間関係を築きながら「自分たちの」デザインをつくっていくという姿勢から、これからもたくさんの見たこともない種が育っていきそうです。
③ヨーコさん(まちのおやこテーブル呼びかけ人、会社員)
前回の講座でお話をしてくださったヨーコさんは、普段は都心の会社で幅広く活躍されています。今回は地方創生という国の政策に対して地方自治体が提案・事業化していくためのサポートをする仕事の内容を一例としてご紹介くださいました。育児もしながら出張もこなし、精力的に仕事をされているという印象を受けますが、そんなヨーコさんが地域と関わろうと考えたきっかけは、ご自身の育児で壁に行き当たったことでした。
2人目の妊娠。引っ越しして間もなく、頼れる友人も親戚も近くにはいない。でも、子育てをアウトソースすることには違和感がある。仕事は辞めたくない。堂々巡りになりそうなこの状況をなんとかするために、考える時間を作り、自分に必要なもの・ほしいものを突き詰めて形にしたものが、「まちのおやこテーブル」だったという流れは、第3回の講座でもお話しいただいた通りです。
「なんとかしたい」と動き始めたことで、同じ思いを持つ女性や地域で働くプロフェッショナルたちと出会い、思いを形にする仲間を得て、「子どものいる人も いない人も みーんな『まちのおや』 この辺りに住む子どもたちは みーんな『まちのこども』」という、核となるテーマも見つけたヨーコさん。心がけているのは、「やりたいことを、あきらめない」。「会社員と母親という役割に加えて、“ワタシ”が広がり、まちとのいい関係を築きつつある」、と話す姿は力強く輝いて見えました。
◆トークタイム
3人のストーリーを聞いた後は、参加者が周りの人と感想共有をする時間。たちまち、部屋は熱気でいっぱいに。 事前に配られた2枚の色紙には、3人に聞きたい事を書いて、カゴに入れます。これは、この後の質問タイムで使われるという仕組みです。
ここからは、3人をよく知っている竹内さんのナビゲーションで、座談会形式で話が進みました。
【背中を押したものは何?】
竹内 みなさんご自分でアクションを始めています。みなさんを突き動かしたものって、何だったのでしょう?そうせざるを得ないという、切迫したものがありましたか?
南部 都心で働いているときは、クライアントから依頼される仕事の中で、モヤモヤしていました。子どもができて、つくし文具店に入って、デザインとの関わり方の広がりを感じて、そのやり方、考え方に共感していった、という感じです。
竹内 南部さんの場合は、切迫したものがあったというより、いろいろな人を知ることによって、次第に発見したわけですね。ヨーコさんは?
ヨーコ 「つき動かされた」といえば、私の場合は育休中の切迫した想いだと思います。家族や親戚に頼れない。自分がどうにかするしかなかった。仕事を辞めるということも考えたのですが、仕事は好きですし、こう言うと非常にダサイのですけれど、お金がないのは嫌だったんです。何かをするのに、夫にお伺いを立てるというのは、私には合わない、と。そうした「あきらめたくない」という気持ちが私を突き動かしたのだと思っています。
竹内 私も今の仕事を始める前、長らく専業主婦でしたから、お伺いを立てるということについてはよくわかります。
萩原 私は自分のことは自分で決めたい性格ですから、会社に勤めていた時も「ずっといるつもりはない」と思っていました。ところが、意外と我慢強さがあって続けてしまった。
決して仕事自体が嫌いなわけではなかったのですが、会社にいると、会社の利益を考えなければならない。社会の利益、自分の利益とのバランスを取ることは結構キツイんですよ。「会社の利益」が外れただけで、すごく楽になりました。
竹内 社会、地域で困ったことを解決するときに、利益云々から自由である、というのはコミュニティビジネスの特徴ともいえます。
【アンテナの張り方 ~はじめの一歩を踏み出すには】
竹内 一歩踏み出した時のアンテナの張り方はいかがでしょう?これから何かやってみたい方へのアドバイスなどはありますか?ヨーコさんは、120人にインタビューしたんですよね?
ヨーコ たくさんの人に話を訊いていくうちに、形が見えてきたという感じでした。それから、機会を見つけてはあちこちの人にボソボソっとつぶやいていたら(笑)、人を紹介してもらったり、アドバイスを得たりして、人とのつながりや形ができてきたんです。一緒にやっていく仲間もできました。
竹内 アンテナが反応する人には会いに行く。そこから沸き上がるものがあったら、それをまた誰かに話してみる。そうすると、また情報が集まってくる。そして「小さな一歩」をやってみる。そのあたりに、ヒントがありそうですね。
南部 はじめの一歩って、難しいですよね。クライアント仕事では依頼されてから作りますけど、そういうやり方に慣れていると「自分から」が難しいんです。自分の場合だと、デザイン以外のところで人とのつながりができたら、その人たちの必要なものが見えてきた。距離が近くなることで、見えてくるというか。関わっていくことがはじめの一歩かな、と思います。
竹内 共感できるコミュニティの中、自分ができることで貢献していくことでフィールドが広がっていったのですね。そう考えると、いろいろなところに「はじめの一歩」はあるのかもしれませんね。
萩原 自分がやってきたこと、できることを整理する、というのも大切です。その延長で何をやるのか、しかない。僕はデザイナーとのネットワークが既にあったことが強みだったと思います。
アンテナという話でいうと、自分の場合は直接つながっていないような、ちょっとその先から来るという感じがしています。自分が流されつつ、背中のほうから来る感じ。アンテナを立てていると、なんとなくわかるんです。自分からつかみ取っているというよりは、出会いを拾っているという感じです。 誰かと出会うことですべてが始まるから、いい出会いをいつも期待しています。
竹内 萩原さんは、自分にとって必要なものに対する感度がすごくすぐれているのかな、と思います。出会いの種は、今日この中にもあるかもしれませんね。
◆質問タイム
Q1.主体となるときの原動力って何ですか?
ヨーコ 主体となる、とは思っていなくて。私は、もともと幹事とかするタイプではないんです。でも、自分が必要なものを求めたら、結果として主体とならざるを得なかった(笑)。
萩原 自分の原動力は、「人見知り」です。それも含めて、今の社会が自分にとって「生きにくい」のを変えたい、という気持ちがあった。それを人任せにはできないですよね。そう考えると、自分の感覚が原動力の「核」になっているのかもしれませんね。
竹内 お二人とも、個人的、社会的に生きづらいあり方に何か風穴を開けたい、というところからスタートしているんですね。始まりは自分だけど、同じような状況の人に対しても何かきっかけを作りたい、というところに共通点がありそうですね。
Q2.活動を広めるために、どんなことをしていますか?
萩原 人数の壁というのがあって、10人くらいなら直接話せますよね。宗教の世界では、教祖一人が直接話を聞かせられるのは300人なんだそうですが、そういう限界がある。だから、どこまで広げたいか、によりますよね。
直接顔を合わせて話し合っていると、コア(核)ができていく。そうすると、自分はコアから外れたな、と思った人は離れていってしまう。それよりは、いつでも、誰でも来ていい、という形のほうがいいと思っていて。最近は、僕のキャラクターが強すぎると言われたので(笑)、自分を消すということを心がけています。
竹内 緊密すぎると、広がりが出ない。余白があるほどいい、という考え方がありますね。キーワードは、「ゆるいつながり」かも?
萩原 「求心力」と「遠心力」をどう使うかを考えています。
ヨーコ 「求心力」と「遠心力」!メモしました(笑)。
確かに、同種の人には広げやすいんです。HPに力を入れて、自分たちが何を目指しているのかをしっかり伝えると反応がある。一方、子育てをする前の世代や子育てを終えた世代の方など、同種じゃない人に広げるのが、難しい。コミュニティには多様な人がいることが望ましいと思っているのですが、なかなか上手くいきません。
今回の企画のように、切り口を変え束を作ったことで、新しいタイプの方々と出会えたかな、という感触はあります。
南部 僕は、「農業デザイナー」という肩書きが活動の軸になったかもしれないです。あとは、地域とつながりたい農家さんもたくさんいるので、そういう人とどうやって一緒にやっていくか。
これはやってみて気づいたことなのですが、一緒に汗を流すと、共感を得られるというのはあるかな、と。地味ですけど、一緒に草取りをしたりしていくうちに、広がっていくのかもしれません。
竹内 コミュニティビジネスの世界でも、ギブアンドテイクではなくて、ギブアンドギブでいいんじゃないか、というのが最近の考え方です。リターンを考えすぎずに、とりあえず貢献していくことで、広がっていくというのもポイントかもしれませんね。
まだまだお話しを聞きたいところで、時間が来てしまいました。参加者は、配布された「ハーベストシート」に、この場から学んだこと、気づいたこと/次のアクションは何になるか、を記入しました。みなさんたくさんの刺激を受けたようで、お開きとなった後まで、語り合う姿も。次にどう動くかというところまで見えてきた方もいたようです。
4回の講座は、地域との関わりを自分なりにどう捉え、どう活かしていくのかを深く考えるきっかけを与える、豊かな場となっていました。ここで出会った人たちから、また新しいものが生まれてくるのかもしれない、という余韻を残しつつ、連続講座「自分らしいまちと関わる暮らし方」が終了しました。
(ライター あおきともこ)
印刷用PDF(machitokakawaru_no-4)