【レポート】探してみよう 自分らしいまちと関わる暮らし方 第2回(20160623開催)

第二回「まちの子どもとの関わり方」深津高子さん

子どもが好き。子育て真っ最中。子どもに関わる仕事をしている。そんな参加者が集まった第二回目のこの講座。子どもに近い参加者たちですが、「まちの子ども」、自分の子どもについて、知りたいことがたくさんあるようです。

講師の深津高子さんは、国際モンテッソーリ協会の公認教師であり、この講座を企画する「まちのおやこテーブル」の“呼びかけ人”でもあります。地域の大人が、子どもをもっと知るために、お話ししてくださいました。

高子さん

【“観察”の極意】

深津さんがモンテッソーリと出会ったのは、カンボジアの難民キャンプで緊急救援活動中のこと。キャンプ内にある保育園の子どもが、竹のおもちゃで遊んでいることに、深津さんは気づきました。それは、自生する竹で作られたモンテッソーリ教具でした。園の代表の方と話をすると、その方は「平和は子どもから始まる」と話されたといいます。この言葉に深い感銘を受け、帰国してモンテッソーリの勉強を始めた深津さん。10年ほどモンテッソーリ幼稚園で勤務した後、この教育法を一層普及させるために独立、現在は世界各地で精力的に活動されています。

モンテッソーリ教育は、医師でもあったマリア・モンテッソーリ(伊・1870-1952)が、子どもをつぶさに観察した中から発見した教育法です。この教育法の最大の特徴は、とにかく子どもを「観察」すること。資格者となるためには指の使い方から言葉の発達など、実に細かい部分について、250時間の観察が課せられるのだといいます。

深津さんが、プロジェクターで壁に赤ちゃんの写真を映し出しました。

あかちゃんの足

「みなさんは、この写真のどこを見ますか?」

生後6~7カ月でしょうか、ずりばいをしているようです。「モンテッソーリを学んだ者なら、この赤ちゃんの見るべきポイントは足の親指の分化です。この写真の赤ちゃんの親指は、床をめいっぱい押していますね」。このことに気づくことができれば、この時期の赤ちゃんに靴下をはかせて親指の運動を妨げることはせず、運動をしやすい畳などの場所(環境)を用意する、という深津さん。「観察」、という言葉が、実感をもって迫る瞬間でした。

【空のバケツか、球根か?】

子どもをどう見るのか。画面には、空のバケツか球根か、という問いが映しだされました。「子どもは生まれたときは空っぽだから、中身を入れていかなければ。それが教育だ」という見方も私たちには馴染み深いように思えますが、モンテッソーリではどう見るのでしょうか。

モンテッソーリでは、命の発達段階は初めにすべてプログラム化されている、と考えます。深津さんはそれを球根に例えて説明しました。球根の中には、花を咲かせるために必要なものがすべて含まれているから、土や水など、適した環境を整えて、その時々に必要な手入れをすることで花を咲かせることができます。子どもに対しても、“命のプログラム”に寄り添い、環境を適切に整えるというサポートをするのが、モンテッソーリ教育のあり方。

子どもの潜在的な力を信頼し、敬意を表した考え方は、「バケツを埋めてやらなくては」という発想とは真逆で、大人の力みを緩めてくれるような穏やかさが感じられました。

【発達の四段階 ~0歳からの大切な6年間】

命が育つ段階には、国や言葉の違いを超えて共通の、普遍的な法則があるのだそうです。今回は子育て世代の参加者が多いこということもあり、「発達の四段階」の中でも特に重要な時期と言われる乳児期(0~6歳)と児童期(6~12歳)について、詳しくお話しいただきました。

発達の四段階を表す図を見ると、0歳から6歳の時期は大人になるまでの間で一番成長の厚みがあります。この6年間で、人は最も吸収する、というのがモンテッソーリの考え方。小中高大、と進むにつれて、どんどん詰め込んでいくという現代の教育とは逆の考え方で、これだけでも子どもの見方が変わりそうです。

The Bulb

<0~3歳>

秩序が好きで変化が嫌い。赤ちゃんが突然泣き出したとき、原因は「秩序を乱された」ためだった、ということは少なくないのだとか。授乳やオムツ替えの場所をいつも同じにする、といった工夫でも、大きな安心感を与えられるのだそうです。また、“科学者”とも表現されるこの時期。なんでも触りたがるのはこの時期の特徴だと理解して、できる範囲で家事参加してもらうのもよいといいます。

<3~6歳>

秩序へのこだわりと共に、“自分でやらせて”、が始まります。判断力や考える力を身につけるためにも、自分で選ばせ、やらせてみることが重要な時期ですが、その時には責任も伴わせましょう、と深津さん。「それを使ってもいいよ、でも、使い終わったらここにしまってね」だとか、「遊んでいいよ、でもチャイムが鳴ったら終わりにしようね」といった自由と制限のバランスが大切だといいます。言葉を膨らませるのもこの時期。豊かな言葉で話しかけられ、吸収したことが、やがて読み書きの力に発揮されていくのだそうです。

<6歳~12歳、それ以降>

6歳から12歳になると、子どもは「どうして?」を連発します。世界に関心が広がり、知的好奇心が旺盛になります。家族より友達を大切にするようになり、倫理観が強くなるため、大人の矛盾を突いてくることも。

12歳以降の思春期には、マグマのようなエネルギーを内蔵します。そのエネルギーがどう転ぶかは、6歳までの育ち方が影響するといいます。発達を、あるがままに受け止め、十分にサポートしてもらった子どもは、危険な転び方をしない。逆に、乳児期に十分な信頼感や愛着を誰とも築けなかった子どもは、大人になってから人間関係の結び方が難しくなるケースもあるとか。参加者からは、「もう6歳を過ぎてしまった。取り戻せないだろうか」といった質問も。「手遅れではなく、見直せばいいのです。遅いということはありません。人の長所を見る大切さは、6歳以下でも以上でも、大人でも同じです」

深津さんの答えを聞き、質問した方には笑顔が浮かんでいました。

発達の段階を知ることで、大人が楽になり、子どももすくすくと育っていく。理解する大人に見守られていれば、子どもは自然によい方向へ伸びていく。発達についての話を聞き、植物が水と光を得て勢いよく伸びていく様が目に浮かぶようでした。

【こんな場合はどう考える? ~参加者からの質問】

深津さんのお話しを聞き、身近な子どもを思い浮かべた参加者からは、次々と質問が上がりました。いくつかをここで紹介します。

みなさん

Q. 現在、子どもが幼稚園年長です。親以外から一般的な社会通念(男はマニキュアをしない、男同士では結婚できない)を身につけてきて、親の考えと違い、戸惑うことがあります。

A. その時期の子どもは、情報を吸収する時期。たくさん吸収したものが、今後考え、判断していくときの材料となっていくでしょう。いろいろなことを吸収しても、子どもは混乱して大きくなることはないので、安心して大丈夫です。

 

Q. 児童期の子どもの塾で教師をしていますが、どこまで手を差し伸べるべきか悩んでいます。例えば、おやつの時間に座布団でたたき合いをしていたとき、それはいけない、と自ら気づくのを待つか/大人が声を出すか/必要があってそうしているのだと考えるのか。自分たちでルールを作るところまで到達してほしいと考えているのですが……。

A. 社会として必要なルールをつくることは大切です。自分たちで決めさせるのは大変良いことです。ただそのためには、塾というコミュニティが互いに成長し合える関係で成熟している必要があります。時間が許すなら、そこから始めて、自分たちで決めるというところまで持っていくのも良いと思います。

自分たちも通ってきた子ども時代。ですが、大人として子どもを見たとき、知らないことはたくさんあります。深津さんの答えは簡潔でいて温かく、子どもへの敬意と愛に溢れていました。講座の後、自分の子どもに対しても、地域の子どもに対しても、向ける眼差しが変わるような、貴重な時間でした。

(ライター あおきともこ)

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2016-07-07 | Posted in イベント開催レポートComments Closed 

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